激昂型の性格が災いしたのではという説もある
職場でも男性と肩を並べて働く女性が、いなかった時代に、1979年にイギリス初の女性首相が誕生しました。就任したのは、マーガレット・サッチャー元首相です。今年4月に亡くなっています。
テレビに映る凛(りん)とした佇まいが、誰の頭にも、記憶に残っているはずです。死因は87歳で脳卒中でした。偉大なるマーガレット・サッチャー元首相のご冥福を心よりお祈りします。
鉄の女のあだ名の由来
鉄の女と言われたその強力な意志の持ち主であり、1982年のフォークランド紛争の際は、爆撃機をフォークランドへ派遣し勝利しています。その後、労働組合制度の改革、低迷する経済の立て直し、3度の総選挙で支持を得て長期政権を貫いた方です。さらに、東西冷戦時代は、アメリカ・レーガン大統領と反共産主義を掲げ、強力な指導力から鉄の女というあだ名を持ちました。
1990年には首相の座を追われ、実質上の政治舞台から退きます。
娘キャロル氏の回想録
2008年には、長女のキャロル氏が、サッチャーの認知症が進み、夫が死亡したことも忘れるほど記憶力が減退していることを明らかにしています。
キャロル氏の回想録によると、90年代に旧ユーゴスラビア・ボスニアで起きた紛争と、自らが指揮をとったフォークランド紛争とを混同したことから、気がついたと言います。この時のサッチャー元首相の年齢は75歳。
英国の情報機関によると、2000年位から、認知症を発症していたことが明らかになっています。
専門家によるマーガレット・サッチャーの認知症の談話
マーガレット・サッチャー元首相の認知症に関して、神経内科医で作家でもある米山公啓氏は、次のように言っています。
『サッチャー氏は激高しやすいと言われていましたが、こうした人は血圧が高くなりがちです。ハードワークでストレスも多かったでしょう。高血圧や過度のストレスは、認知症のリスクです。さらに、政界から引退し、一挙に緊張から解き放たれたことが、影響したとも考えられます。サラリーマンが定年直後に認知症になるケースが見受けられますが、それと同じかもしれません。』
症状の進行状況は
2001年に脳梗塞を起こしてから、軽度の脳梗塞を繰り返していたと言います。2002年には、主治医より人前での講演を止めるアドバイスにより、公の場での発言を控えるようになりました。はり合いを無くしたことも影響しているのでしょう。
レーガン元大統領は、アルツハイマー型認知症でしたが、サッチャー元首相は、血管性認知症と伺えます。いずれにしても、一国を背負ってきた偉大な方達も老いには勝てないと言うこと、認知症はどんな方にも訪れる可能性のある病気ということを、知らせてくれたニュースであります。
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