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『老いを受け入れられない』と悩む高齢者に会ったら見たい映画

自分の老いを受け入れるのは難しい

『92歳のパリジェンヌ』は、尊厳死をテーマにした映画でした。テーマを知っていれば見ませんでしたし、『尊厳死』なんて見たくも聞きたくもない言葉です。ただ見終わると、尊厳死という重さはそこになく、心がポカポカと温まる話だったのです。にこにこおばあちゃん

主人公の92歳のおばあちゃんマドレーヌは、フランスの元首相リオネル・ジェスパンのお母上 ミレイユがモデルになっています。時は2002年にミレイユは尊厳死を選びその最期の日々を、首相の妹(ミレイユにとっては娘)が、『最後の教え』という本で執筆しました。この本を原案として2015年に映画化されたのが、『92歳のパリジェンヌ』なのです。

映画のマドレーヌは家族が揃う我が身の誕生日会で、2カ月後にこの世を旅経つと宣言します。「以前、気力がなくなって生活に不便を感じたら、この世を去りたいと話しましたよね。その時が来たの。2カ月後の10月17日に、私は逝きます。」

その後の話の展開は、マドレーヌを取り巻く家族の行動と心理描写、お手伝いさんとのユーモラスなやり取りで繰り広げられていきます。そこに難しい理屈はありませんし、俗っぽい遺産問題もありません。各々の家族が感情のまましゃべり、マドレーヌを心配する素直な気持ちだけです。どこにでもある家族の風景、何も特別ではありません。

老いは誰にも平等に訪れる

私の心が動いたのは、自らの老いを受け止められないマドレーヌの日常生活です。『入浴』『着替え』『階段を上る』と日常生活でできなくなったことを手帳に書き残し、腰の痛みも気にかけます。

粋なパリジェンヌらしく、ルノー5のキーを手にしてさっそうと車を運転します。すぐに飛び出してきた車を除け切れず、後ろから走ってきたバイクにぶつけられミラーを壊されました。マドレーヌは苦虫をつぶしたような顔で無言のままですが、気持ちは伝わってきます。「自分の思うように生きられない」と、私ならつぶやいているところです。

おねしょをしてシーツをはがす時の姿、自らの失敗を自分の手で片づけたいのに、さらにお手伝いさんや病院の看護師が「私がやります」とシーツを取り上げます。スカートをめくっておむつ姿を娘に見せ「これでいいの?」と、問いかけたマドレーヌの目は強烈でした。

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自分の老いを受け入れられずに、尊厳がめちゃくちゃに傷つけられたマドレーヌと、我が母が重なりました。その瞬間、「みんな年を取れば同じね」と安堵してしまったのです。高齢者はみな同じ、自分の老いを受け入れることができないのです。

やり手の助産師だったマドレーヌは、多くの人を助け感謝こそされたけど、誰かの世話にはなりたくないという気持ちが強いだけです。キラキラ輝いていた自分と、老いた自分とのギャップに苦しむのは、妥協せず真剣に生きてきた証拠です。真剣に生きてきたマドレーヌだから、見ている人の心を温かくします。

プライドが傷つくのは過去の自分との対比もあるけど、他の人との対比もあるはずです。群衆の前で恥をかかされたという言葉は、他の人とは違うことを指摘されたからでしょう。この映画で、老いは誰も平等に訪れることが分かれば、多くの人は心が軽くなるに違いありません。老いは誰にも平等に訪れると思えば、プライドは少し守られます。

老いのハードルは時代と共に下がっている

尊厳死の是非については語れないけど、老いを受け入れられないハードルは徐々に低くなったといえます。

この映画の舞台は2002年。日本では『おむつ』から、大人おむつを連想する人はそういない時代でした。

現在。厚生労働省の調査では、75歳以上の46.4%、80歳以上の57.0%が尿失禁を経験していて、半数以上の人がおむつをせざるを得ない状況であると発表しています。おむつメーカーのユニ・チャーム曰く、「超高齢社会の今、大人用おむつの使命は、単に排泄トラブルをカバーするだけでなく、失禁があってもアクティブで自立した生活が送れるようにすることだと考えています。」とあります。つまり、おむつをつけるぐらいで、「生きるの死ぬのと騒がないでくれ~」というのが今の時代なのです。定年後再就職を行った知人に聞いたところによれば、トイレに大人おむつが頻繁に捨ててあるとも聞いたことがあります。

まず多くの人は、老いと戦っている高齢者の心の内を知りません。『92歳のパリジェンヌ』を見れば理解できるし、高齢者と温かい気持ちで接することができそうだと思いました。

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