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てんかんは治まったが、正気を失ったまま

鼻の管を嫌がる母と格闘の毎日が始まる

幸い母は、てんかんで倒れた翌日のお昼頃、目を開けたと、翌日病院を訪れた時言われます。

『ラッキー!』そう、こんなテンポの良い言葉が私の頭に浮びました。心配し過ぎて、やけくそになった時に、ハイテンションになる症状と似ています。とにかく『ラッキー』だったと、自分に言い聞かせながら病室に入ると、母は正気を失っていました。ミトン

意識を回復したとたん、周囲は大変な騒動

病室が暑いのか、布団を足でけり上げ、ミトンをつけられた手を私に差し出します。ミトン?冬に身につける手袋のそれとは異なり、料理の時に使うあの大きなミトンです。

側にいたヘルパーさんが、何度も経官栄養の管をとろとする母を制していますが、その言葉の意味を理解していない感じです。

『お母さんは認知症だったのですか?』と尋ねます。何度も、「ミトンをとって」の子供のようなしぐさをしている様子は、なるほど、認知症にも見えます。ヘルパーさんにも、そう思わせることが幾度かあったに違いありません。

時々、とるおかしな態度の他は、自分の身の回りのことは何でもやり、「しっかりしたお母さんね」と言われ続けただけに、認知症という言葉がちぐはぐに感じられました。

逆に、『一人で、お稽古ごととか、病院、買い物にいっていらしたんでしょう?すごいですねぇ~』と、改めで言われるのもしっくりきません。80過ぎでそれくらいのことやりこなしている人は、珍しくありません。

やはり、このような場所に運び込まれる方は、生活の中に何か危険因子が含まれていたと、考えるべきなのでしょう。

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意識を回復したという私の連絡に、姉もお見舞いに現れます。何か話しかけると、母の声とは思えないくらい低い声で、警官のように大きくはっきりと『はい』、『はい』と返事をします。『返事が妙に、いいねぇ~』と、姉は言いますが、果たして言葉の意味を理解しているかどうかは不明です。

まったく、通常の母とは人格の違った子供が母の顔をして、寝ているのかと思うくらい、様子があどけないのです。目が合うたびにミトンをつけた手を差し出し、とって欲しいという表情をします。このまま幼児のままだったらと不安にかられて、背筋がぞぉーっとしました。

母がミトンの手を伸ばすと、看護師さんは、『嫌なのねぇ~、でもしょうがないのよ~』と何度も制しますが、言葉が伝わりません。

その度に、私と姉に目を向けながら、看護師さんは、ミトンをつけておかないと、鼻の管を抜いてしまうからと何度も困った様子で説明をします。『とっても手先が器用な方のようで、ミトンを上手にはがしてしまうんですよ。』と愚痴もでています。

説明を聞きながらベッドに目をやると、ふと、けり上げてあらわになった腰のあたりに拘束していると思われるバンドを見つけました。厳重なんだ!

横に並べられているベッドでは、生死が危ぶまれる状況の中で、私たちの親子のベッドだけは騒がしく、異質な空気に包まれていました。

経官栄養の管の意味

拘束のバンドを見ながら、血中にてんかんの薬がある濃度に達するまで、体内に入れ続けなくてはならないと、入院時に説明を受けたことを思い出しました。

例え、十分な薬が体内に入りきらないうちに退院したとしても、その後、何度もてんかんを繰り返し、どんどん要介護のランクが上がってしまうと、何かで読んだ記憶があります。

にわか知識ではあるものの、信ぴょう性があるような気がして、しっかりした病院で良かったと胸をなでおろします。

また、しっかり薬を入れ込んで二度とてんかんが、起こりませんようにと願いました。

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