認知症で日常生活の自立度を失なわせない、回復する手段を増やそう

沢山のBPSD解決手段を用いる

11月15日(日)NHKの認知症革命で放送された、『認知症になっても、その人らしく穏やかな人生を生きていく』の根底にある考え方は、4年前からありました。母が倒れた時ですが、病院側は認知症になってもBPSD(徘徊や暴力)の症状を、出さないようにと公演で話します。BPSD(徘徊や暴力)は、周囲の人の接し方で起こさせないことも、和らげる事が可能だからです。施設でのレクレーション

介護者が減る中で、増え続ける認知症への課題

既に知られている事なのに、各方面から繰り返し放送しています。こんな念押し放送は、もはや家族や介護者だけで、手に負えない状況になっているからなのでしょうね。

少子化のため一人暮らしや、高齢者同士の世帯が増え続ける中、若くて元気な介護者だけに期待することは、もう無理です。かつては数が少なかった若年性認知症も増え続けていると言います。認知症だから、社会と断絶させてしまう対応は、社会が回りません

TVでは、施設の事例も紹介されていましたが、今日の新聞でも介護現場の人材不足が書かれます。今回NHKで放送されたようなキメ細かな対応は、難しくなるでしょう。

放送の最後に、静岡県富士宮市で行われている地域全体の認知症に対する試みが、紹介されました。多分、『地域全体での認知症対策を』というのが、目下、NHKの結論のようですね。

もうひとつ、認知症に対する偏見解除を行う事で、さらなる解決方法が生まれる事を期待していると思います。

『認知症でも、その人らしく穏やかな人生を生きていく』方法

今までも、介護現場や医療現場で、様々なBPSD対応が紹介されてきました。手を握ったり、癒し系のロボットやセラピードック、レクレーション活動などです。

しかし、まだまだ、足りない。いたるところで対応し続けなければ、増え続ける認知症を賄う事ができないといったところしょう。

紹介された事例について、記載しておきます。

島根県出雲市の介護施設『小山のおうち』

30名の認知症を抱える『小山のおうち』では、認知症の方に手記を書いてもらう試みを行いました。徘徊や暴力を繰り返す重度の方も、看護師の野津美晴さんが、根気よく信頼関係を築きながら、書いてもらいます。集まった手記の数は70。

手記の内容から、徘徊や暴力を改善する手掛かりを探す試みです。実際書いてもらうと、コミュニケーションがとれずに、家族でも気持ちが分からなかった認知症の方には、悲しみや喜びなどの様々な感情があることが読みとれました。

その内容の中で、特に多かったのは、物忘れをして指摘されることが酷く辛いと感じていることです。

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施設では、忘れたことを肯定する方針をとったそうです。笑い話にして、同じように忘れた人どおしが笑いあって確認する、なごやかな映像が映し出されます。

この試みの前は、暗く心を閉ざしていたお年寄りも、次第に暴力は無くなり笑顔が生まれ、会話が増えていったと言います。辛いと思っている物忘れの辛さを、和らげることで、その人らしさを回復させました。

ペンシルベニア州立大学 アン・コラノウスキ教授の試み

アメリカでは、BPSDで暴力のある認知症患者には、抗精神療薬を使っていましたが、高齢者には負担が大きく死亡の危険性がありました。

通常施設では、レクレーションなどで全員が一緒に同じプログラムを行っています。ペンシルベニア州立大学 アン・コラノウスキ教授は、一人ひとりに合致したケアを行うことにしたのです。

施設にいる高齢者128人とひとりひとり、面接を行いどんなことに興味を、持っているのかをヒアリングしました。興味と性格に合致したプログラムを提供することで、24%、BPSDなど問題の行動が減少したそうです。

この研究結果を受けて、アメリカではガイドラインを改正し、『薬を使わずに、本人の興味や能力にあったケア』を行っている施設には、補助金を出すことにしました。

人口13万5千の静岡県富士宮市の試み

富士宮市では、4千の認知症患者がおりますが、街ぐるみで支援をしています。オランダより視察が来るほど、注目されているそうです。

福祉施設で週5日働いている石川恵子さんは、生き生きとインタビューに答えていました。認知症になっても、社会活動ができる証明です。

卓球を行っている方、スポーツ大会でバットを振るお年寄りなども映像に映ります。

近所の住民に誘われて『よりあいサロン』出かける、お年寄りの表情はとても楽しげです。『よりあいサロン』は、住民が自発的に作ったおしゃべりの場です。この方徘徊もあるようですが、こうした地域住民との交流があるために、直ぐに見かり1間以内で、自宅に戻れるのだそうです。

同じく住民が自主的に始めた市内17地区で行われている見守り活動では、お年寄りの自宅を訪れ服薬管理のサポートをしています。地域全体で支え合う事で、認知症の方がその人らしく生き生き暮らすことを可能にした事例です。

事の始まりは、ガス会社で営業マンを行っていた佐野光孝さんが、突然認知症と診断されることからです。会社を辞めざるをえないで、市役所に相談したら、ディサービスをすすめられます。

この時の状況を本人が、『街の中に居場所がない、人間失格のよう』と漏らしていました。市役所の方のアドバイスにより、学校等で自ら認知症の事を話す活動を始めたと言います。次第に、卓球をするスポーツサークルや、富士登山をやっているグループから声がかかり仲間ができ始めます。

こんなことから、認知症のサポート支援が広がっていったのです。

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