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人間がたどる最後を知っておかなければ。。。

このところ新聞やNHKで良く話題に上がる、胃ろうと平穏死(尊厳死)ですが、死を迎える権利が報道されるようになりました。
高齢者の中には、延命治療を望まず、自宅で静かな死を、迎えたいと考えている方もいるからです。
介護を受ける高齢者

理屈と感情は別物

それは、自らの生き方がそう言わせていている場合も、家族に介護の負担をかけたくないと言う意思と両方が含まれています。

先週金曜日に行われた『それでも”延命”を~揺れる 人生最期の決断~』では、理屈と感情がうまくかみ合わない場面があり、言葉で言うほど簡単なものではありません。

意識がしっかりしているのに決断を迫られる

80歳になる女性は、高齢による慢性呼吸不全を煩っていました。
彼女は、延命治療を受けない意思を固めていました。
しかし、彼女が人工呼吸器を、つけるかつけないかの判断をする時は、ちゃんと喋れて意思があるときだったのです。戸惑いを感じたと言います。

『自分を支えてくれる妹たちと一緒に生きたい』と強く願ったと言います。
”話もしっかりできるし、まさか、この状態で決断を迫られるとは・・・”といった彼女の言葉に、いささか衝撃を受けました。

全く意識もない、意識があっても自分の事も家族の事も忘れてしまっているような状態で、このような判断を行うものと多くの人は考えています。実際そうではないのですね。

突然倒れた時の判断は不可能

スタジオに招かれた英裕雄医師も、人工呼吸器や胃ろうの処置は、救急車で運ばれた時”命を救いたいという家族の願いが、一にも二にも、最善を尽くしてほしいという圧力感となるといいます。
こうした状況の中で、処置が施されます。

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緊急事態で生命を助けた後は、付けられた人工呼吸器や胃ろうはいずれは外れると考えているからです。 健康な人や若い方の場合は、確かにそうです。

TVのSFや冒険ものに、『このまま見殺しにするわけにはいかない。』というセリフがありますが、この状況です。

その数日前NHKは、平穏死の問題を取り上げ、『凛とした最期を迎えたいという』特集を行った後だけに、理屈と現実のギャップを知ることになります。

生きる意味について考えされられる

人は他の生物とは違って少なからずの、知能を持っているために、自ら定められた寿命を延ばすことができるようになりました。
こころざし半ばにして生命を絶たなくてはならない人が、医療によって、救われたケースは沢山あります。

さらに、医療技術の進歩で、何でも直せてしまう時代が来るかもしれません。
自らの寿命を自らの意思で判断して、遂行しなくてはならない、そんな時代がもしかしたら当然のように来るのかもしれません。

介護をしている身として、人が老い徐々に体の機能が衰えていくのを見るのは、非常に残酷なことだと感じています。
そんな状況の中で、唯一の免罪符が延命治療と言う形になるという気がしないでもありません。

地球上で知能を持った人間の宿命とは、恐ろしいですね。
季節により生命を終わりにする植物や、外敵や病気により命を無くす動物と違って、延命をいう武器を持ってしまったために、死を迎えずらくしてしまいました。

深刻にならずに真剣に向き合おう

この放送の最後に、英裕雄医師が、介護している方は、少し申訳ないないなぁ~、と思う位が丁度いいとおっしゃっていました。病院と同じような完璧な介護をしようとするから、息切れするのでしょう。
何よりも、救われるひと言です。

 

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